四月馬鹿



 豪炎寺は激怒した。必ず、あの後輩に徹底的に報復してやらなければならないと決意した。豪炎寺は恋愛ごとには疎い。というかそもそも興味がない。いまはサッカーが楽しいばかりで恋愛なんてしなくてもぜんぜんリア充だし、妹の夕香よりかわいい女子にはこれまで出会ったこともないし、恋人なんて必要なときには自然とできるものなのだろうくらいに思っている。モテる男の余裕である。しかし確信はしていたのだ、お前、どう考えても、絶対に確実に誰の目でどの角度からどう見ても、俺が好きだったはずだろう!

 手に持ったケータイをへし折りそうになりながら、豪炎寺はその読みたくもないメールを10回は読み返している。現在時刻は夜中の0時5分である。日付が変わって4月になった直後に着信音が鳴り、一通の短いメールが届いた。差出人は虎丸だ。

 そう、虎丸は絶対に豪炎寺が好きだった。誰がどう見ても確実に、特別に、あきらかに、ちょっと尋常でない程度には好きだった。出会ってすぐのころからずっと虎丸は豪炎寺の傍でひょこひょこ笑っていて、豪炎寺さん豪炎寺さん豪炎寺さんと呼ぶたび辺りには大量のハートマークが散らばる。FFIが終わっても虎丸は豪炎寺から離れたがらず、「出前のついでです!」とあからさまな口実で雷門サッカー部への差し入れを繰り返し、半年前の模試D判定から奇跡のような追い上げで受験に合格し、いよいよ入学を控えた春休みの今、早くもサッカー部の練習へ特別に参加している。いつもいつでも虎丸は豪炎寺にまっしぐらで、あのキラッキラの大きな目には豪炎寺しか映っていないから染岡などは存在を無視されてぶつかられることもしばしばだ。「豪炎寺さんはやっぱり最高にかっこいいです!」、「俺、豪炎寺さんのこと大好きです!」、「豪炎寺さんって美人ですよね!」と言われたときには日本語は正しく使うように説教してやったが、「でも俺、豪炎寺さん以上の美人って見たことないです!」と食い下がられて頭を抱えた。豪炎寺は学内にファンクラブがあるレベルのイケメン様なので、モテるのには慣れているのだが、それでも虎丸の好意は誰よりも群を抜いてストレートだ。ちなみに、虎丸は既にファンクラブ会長から勧誘されていて、入学後には名誉会員になる予定だということである。ここまでくるとやや疎い豪炎寺でもわかる。こいつ、俺のこと好きだろう。尊敬というか、憧れというか、いやこれは完全に恋しちゃってるだろう。この前、国語のテストのサービス問題で「I love youを自分なりに日本語に訳しなさい(5点)」というのが出題されていたが、漱石が月が綺麗ですねと訳し、二葉亭が死んでもいいと訳したあれを虎丸にやらせたら、解答はきっと「豪炎寺さん!」に違いない。あの問題、円堂は「サッカーやろうぜ!」で5点を与えられていたのでその解答でも5点のはずだ。

「彼女ができました★」

 ところがどうして、これがメールの件名である。豪炎寺はまずアドレス偽装の迷惑メールかと疑ったのだが、というかメールを20回は読み返した今になっても疑っているが、しかしこれがもし本当に虎丸から送られてきたメールなのだとすれば、なるほどそうか、虎丸には彼女ができたのか。アドレス偽装ではなかったところで迷惑メールでしかない。脊髄反射で「リア充爆発しろ」と返信しなかった自分は大人だと豪炎寺は思う。

「年上のとってもきれいな人です。本当ですよ? 写真を添付してみました。俺たち、幸せになります!」

 うるさい装飾の施されたデコレーションメールには、さらに1枚画像が添付されていた。しかしデータが大きいのだろう、あまり使わない豪炎寺の携帯では機種が古すぎて表示不可能なようだった。もちろんそんなもの見たくもないが。どういうことかと考えて、さらに10回ほどそのメールを読み返し、携帯を握りつぶしてしまいそうなほど強ばった指で返信を打つ。

「そうか、よかったな。彼女を大切にしろよ。」

 20字が20字ぜんぶ嘘だ。祝う気持ちなどゼロをはるかに通り越して極限までマイナスである。それでも返信せずにいるのはプライドが決して許さなかった。俺は動揺などしていない。していないといったらしていないのだ。

 そうだな、付き合ってやってもいいかな、と、いまとなっては泣いて土下座して頼まれても完全に願い下げだが、ついさっきまでは思っていなかったわけでもないのだ。ぶっちゃけ豪炎寺は、俺はいつごろ虎丸から告白されるんだろうと思っていた。
 たとえば、FFIで優勝を果たして帰国したとき、実家に帰るまえにもの言いたげな様子をしている虎丸に、豪炎寺は優しく「どうした?」と質問してやった。虎丸は少し恥ずかしそうなそぶりをみせて、「俺、豪炎寺さんとまた一緒にサッカーしたいです。絶対に雷門に入りますから!」と顔を上げて宣言した。でもあれは、本当はきっと違うことが言いたかったのだと豪炎寺は思っている。しかし虎丸も自分の感情にまだ戸惑いがあるのだろう、準備ができるまで気長に見守っていてやろうと、豪炎寺は微笑ましい気持ちで「ああ、待っている」と返事をした。とはいってもそれは、待っていてやろうと思っただけだ。もちろん期待などしていなかった。そうに決まっている。
 その後だって、豪炎寺と虎丸はしょっちゅうお互いに行き来を繰り返していたし、クリスマスにはふたりで出かけたし、初詣にも一緒に行ったし、それにバレンタインのときだって、お前、俺にだけ特別にみんなと違うチョコレートを寄越したじゃないか。あれが本命じゃなかったらなんだったていうんだ。

 いったい虎丸はいつ心変わりしたというのか、それともあの全身全霊から放たれているようにみえる「豪炎寺さんが好きです!」のオーラはこちらの勘違いだとでもいうのか。まさか、そんなことあるわけがない。


 その後、虎丸からの返信はなかった。豪炎寺はほとんど眠れない夜を過ごし、寝不足も相まって機嫌最悪で4月1日の朝を迎えた。新しい年度のはじまりの日だというのに、幸先が悪いにもほどがある。学校は休みでも部活はしっかり朝からあって気が重かった。虎丸になど会いたくもない、いったい何を言ってしまうかわからない。などとぐちゃぐちゃしく思っていても、案外人間は冷静でいられるものである。
「おはようございます、豪炎寺さん!」
「遅いぞ。早く着替えろ」
 虎丸が部室に着くのが練習開始ぎりぎりなのは、店の手伝いをしてから家を出ているからだ。当然わかっているはずなのに、そんなことすら今の豪炎寺には苛立ちの材料になってしまう。ほらみろ、日付が変わるまで起きていたりなんかするから寝坊したんじゃないのか、なんて。そういえば、届いたメールを開く前には、豪炎寺はそのことで虎丸をたしなめてやろうと思っていたのだ、体にはもっと気を使うようにと。まったく、いつも心配ばかりかけて。

 そうだ、豪炎寺はそんな虎丸のことを、……ずっと、待っていてやったのだ。虎丸の決心がついたときには迷わず答えを返せるように、自分の気持ちは先に整理をつけていた。考えた末に豪炎寺がやっと選んだのは、虎丸を傷つけることはない返事のはずだった。どうせ虎丸は告白した後のことまでろくに考えていないだろうから、「男同士 セックス やり方」でグーグル検索して勉強だってしておいた。驚愕の検索結果を前に、俺は虎丸にこんなことをできるだろうかとくじけそうになり、ベッドで自分の息子にお伺いをたててみたりもしたのだ。ちなみに結論としては、いやこれは意外といけるかもしれないということになったというか、なんというか、まあ、全然いけたのでべつに問題はなかった。イメージトレーニングは積んでおいたほうがいいだろうと思って、虎丸が着替えるのを横目で見ながら、いざというとき脱がせる手順だって普段から考えてやっていた。じっさい準備万端だった。

 とっくに習慣になってしまったイメージは、いまだって勝手に頭の中でどんどん展開されている。けれど虎丸にはなんの危機感もなく、部室の中、着替えの課程で惜しげもなく晒される裸の上半身を前に、豪炎寺はかえって怒りを深くしていった。その身体に触れる権利を持っているのは、あるいは自分ではなかったのかもしれないということ。彼女。彼女か。なあ、おい虎丸、そいつがお前の何を知っているっていうんだ。俺じゃなくて、そいつの何がいいんだ。
「……豪炎寺さん、あの、何か?」
「別に。お前に用事は何もない」
 知らないうちに睨みつけてしまっていたらしい。いまのは冷たい言い方になりすぎただろうか。虎丸が不安そうに瞳を揺らしたときだ。
「みんな、おはよう!」
 部室のドアを開けて飛び込んできたのは円堂だった。ここまで走ってきたのだろう、円堂は肩で息をしている。遅いぞ、と円堂には鬼道が小言をいう。
「ごめんごめん、ちょっと寝坊しちゃってさ」
「お前がそんなことでは示しがつかないだろう」
「悪かったって。いつももっと早く寝るんだけどさ、夜にたくさん面白いメール来て、返事してたら遅くなっちゃって。ほら、きょうエイプリルフールだろ?」
 円堂が言うと、近くで聞いていた半田と染岡がつまらなさそうな顔をする。
「あれ、なんだ円堂、もうそれわかっちゃってるのか」
「つまんねーなあ。とっておきの嘘ついてやろうと思ったのによ」
「ふっ、みんなもっと巧く嘘をつくことを考えろ。円堂は単純だからな、たとえエイプリルフールだと認識していても、騙す余地なんていくらでもあるぞ」
「鬼道、なんかひどいこと言ってない……?」
 鬼道が人の悪い笑みを浮かべると、円堂は制服を脱ぎながら苦笑いしてみせる。と、円堂はいましがた着替え終わった虎丸のほうに気づいて声を上げた。
「あ、虎丸! そういえば結局あのメール、写真ってどれだったんだ? 俺のケータイ古くてごめんな」
「いえ、俺もうかつでした。えっと、……写真、これだったんですけど」
「ははっ、なるほど、これ彼女か!」
「はい、自慢の彼女です!」

 …………ちょっと待て?

 いや待て。本気でだいぶ待て。
 円堂が虎丸の携帯の画面をのぞき込み、二人は仲良く笑っている。会話の流れを把握して、豪炎寺はよもやという気持ちで、だがもちろん内心とは裏腹、つとめて完全な平静を装って口を挟んだ。
「虎丸。俺の携帯でも画像は見られなかったぞ」
「えーっ! 豪炎寺さん、すぐに返信くれましたよね?」
「……いや、どうせそういう冗談だろうと思って、適当に返信しただけだ」
 ということにしておく。豪炎寺としては、絶対に確実に最初からそうでなければならなかった。少し考えればこんなのは誰にでもわかる話だ、ただの冗談だと思って返信しただけだった。そういえばそうだった。そうだったと言ったらそうだったのだ。
「なんだ、豪炎寺さんに送って大丈夫そうだったから、それで俺、他の人にも同じメールを送ったのに。残念です」
 虎丸は悔しそうに口をとがらせる。豪炎寺は呆れた顔をしてみせながら、しかしはっきり言って、もちろん誰にも言えはしないに決まっているが、内心では口も利けないほど恥ずかしかった。こうなってしまうとこみ上げてくるのは別の怒りだ。

 ――こいつ、人の気も知らないで!

 春休みのスケジュールは他の部活との兼ね合いもあって変則的で、今日は雷門のグラウンドで練習することになっているのは正午までだ。河川敷などへ場所を変え、午後から自主練をするメンバーも少なくないが、強制というわけではない。虎丸はすぐ家へ戻るつもりのようだった。
 豪炎寺は予定を決めかねながら、どうやら他人のものだったというわけではないらしい、着替えている途中の虎丸の肌に目を走らせる。他人のものではないのなら、それはきっと、いつか自分のものになるべきなのだと豪炎寺は確信している。だってそうだ、ほらみろ、お前、やっぱり俺が好きなんだろう?
「じゃあ、豪炎寺さん、今日はこれで失礼します!」
 半日も真剣に走り回れば、ストレスなんてほとんど汗と一緒に流れて消えてしまう。それでも昨夜からの苛立ちはまだくすぶっていて、豪炎寺はふと虎丸への意趣返しを思いつく。次の瞬間には足が部室を飛び出していた。
 豪炎寺は走って虎丸を追いかけ、校門の手前ですぐに追いついて後ろからその手首をつかむ。虎丸はきょとんとした顔になって振り向いた。
「虎丸、待ってくれ。4月になったら、お前に言おうと思っていたことがあるんだ」
「えっ? はい、なんですか、豪炎寺さん」
 こちらが真面目ぶって切り出せば、素直に居住まいを糺すような虎丸の態度を好ましいと思う。当然だ、と豪炎寺はやや溜飲を下げ、その一方で決して許してやるつもりはなかった。手首をつかめるだけの距離から、さらにもう一歩、近づく。

「虎丸、おまえが好きだ。俺と付き合って欲しい」

 ひどく真剣な顔をして、余韻のための数秒の間。
 それから、なんてな、と言おうとした豪炎寺の唇は、しかし、「な」の形になるまえに半端に固まった。

「……うれしい、」

 息をひそめた豪炎寺の眼前で、虎丸の目からこぼれ落ちていくのは涙だった。
「う、嘘じゃないですよね、豪炎寺さん、これ、嘘……っ」
 虎丸は頬を真っ赤にし、もはやまともに喋ることもままならない風情で、その場に座り込んでしまった。どうしよう、考えたこともなかった、うれしいです、と虎丸は声を詰まらせている。豪炎寺は苦々しい思いでその姿を見下ろした。

 ――ああしまった、とんでもなく間違えた。虎丸は、そうだ、そうだった。「豪炎寺さん」といちど呼ぶたび、周囲の温度を1度ずつ上げてしまうような、空中に春の色の花を咲かせてしまうような、虎丸は、誰がどう見ても、どう考えても、確実に完全に間違いなく、豪炎寺のことが好きだった。あきらかに恋に落ちていた。
 だからこそ、騙されただけ騙してやるには、傷つけられただけ傷つけてやるにはいちばん簡単な方法で、……でも、そんな顔をされて。
 いったい誰が、嘘だなんて言うことができる?
「……嘘じゃない。ずっと待っていたんだ」
 何があっても真相はばらすまいと心に決めて、豪炎寺は虎丸に嘘をついた。あるいは正午を少し過ぎ、エイプリルフールの魔法は解けて、豪炎寺は真実を言葉にした。どちらでもまるで変わりはない。いつかはこうなると前からわかっていたことだ、勢いで今日からはじめてしまえばいいだろう。
「っ、豪炎寺さん、……」
 それ以外はもう発音しきれないほど参ってしまっているようで、その場にしゃがみこんだまま、虎丸は、ごうえんじさん、と繰り返した。どうせ虎丸の「豪炎寺さん」はI love youと同じ意味だから、サービスで満点をやってもきっと問題はない。


 そういうわけで、今日の豪炎寺は虎丸と一緒に帰ることにした。一緒に、というのは虎丸を家まで送ってやるという意味で、恋人同士になったのだからついでに手料理ぐらい振舞ってもらったっていいはずじゃないか、と、形から入るのを行き過ぎてなんとなく自棄である。豪炎寺は虎丸に待っていろと伝え、部室に置いてきた荷物を急いで取りに戻る。ドアを開けると、鬼道がにやりとした笑みを浮かべて立っていた。
「部室に居た奴が最低3人はツイッターで速報を流していた。日付が日付だから相手にされない可能性も高いが、公認の仲というやつだな、ひとまずおめでとうと言っておこう」
「…………」
「しかし豪炎寺、こういう日に告白は潔くないぞ。もしふられたら嘘にするつもりだったのか?」
「逃げ道を残してやったんだ。俺の気持ちは決まっていた」
「なるほど、そういうことにしておいてやろう。しかし、あのメール、嘘ではなくなってしまったな」
「……メール?」
「ああ、お前は画像を見ていないんだったか」
 鬼道が携帯を取り出して、手早くキーを操作する。これだ、とこちらに向けられた画面に映っているのは、昨夜30回は読み返した虎丸のあのメールだった。ただし、本文のあとには大きな画像が表示されている。渡された携帯の画面を前に、豪炎寺は目を見開いた。
 ――どうしてこれを、虎丸が。
「去年の秋、文化祭の準備のときに撮ったものだな。誰かが送ってやったんだろう、これで綺麗な人だと証明するには無理のある表情だが」
 鬼道は淡々と言ってのける。なるほど、そこには見覚えのある顔が映っていた。目鼻立ちは整っているが、写真を撮られるのを拒むように半分顔を背け、眉間に皺を寄せている。
 というかこれは、クラスメイトから無理に女装をさせられて、史上最低にめちゃくちゃ機嫌が悪かったときの――

「……誰が彼女だ!!」

 虎丸を一発殴ると決めて、豪炎寺は、ひどく赤面した。







12.04.01

BACK